つらいね

他人の話を聴くには、体力と知力が必要だ。 入院中の夫の付き添う老婦人、毎日毎日、ナースセンターに現れては、同じことを繰り返す。「先生に聞きたい。夫の病状はどうなっているのか。薬は・・・ちゃんと診て欲しい」と訴える。必要な治療をしている病院側としては、『また、あの人、クレーマだ』といった扱いになっていく。また来たか、また来たか。ある日、先生が向き合ってくれ、『一言』伝えると、ぴたっと日々の行動が収まった。話をひたすら聴いたあと、『奥さん、辛いねえ』の寄り添う一言だった。老婦人は、一人で辛い思いを抱え、そのことを誰かに聞いて欲しかった。しかし、言えば言うほど、避けられるようになる、そのためまた過剰な反応になっていったのだった。先の見えない夫の病状と不安、自分だけで抱えている状況の中、その不安が膨らんでいく。ほんの一言が大きく救われることになった。ひたすら聴く『体力』、共に、話者がその言葉に出来なかった本意に寄り添う『知力』によって救われる。(参照 知の体力 永田和宏・・平田オリザ氏のエピソードより)